「魂を燃やせよ」

2018年8月11日、12日。

曇り空は晴れた。でも、最後の最後は雨が降った。

これまでの事をすべて流すような、そんな雨だった。

 

個人的に重要なタイミングで彼らは何かしらの不安要素を発生させてくる。

4年前は結果良い方に転がったのだけれど、今回はどちらに転がるか全く予想がつかなかった。

自分も思うような結果が出ていなかった時期だったし、なによりも、周年の年になにをしてるんだろうと思う方が先だった。

 

といっても起こってしまったものはどうにもならない。

だから忘れるように、他の応援しているグループに目を向けたし*1、彼らの曲も「まったく」耳にせずに、必死に勉強をしていた。

 

こういう時、アイドルは無力だと思う。

でもそれは「アイドル」という性質上どうしようもないものだとも思う。

受け入れる側が、受け入れられる状況にならなければ、なにも届かないのである。

 

どうなることやらと思った「BLUE」はそのままリリースされた。さすがにこれは延期したくてもできないものだったと思う。音楽番組も、そのまま放送されたものが予想より多くて安心した。

 

事が起こった時から「BLUE」がリリースされるまでの約2週間、彼らの曲を聴くことはなかったと思う。聴いていたとしても、こころここにあらずのような感覚で、耳から耳へ通り抜けていった。

 

「BLUE」を聴いた。

これまでの憂いはなんだったのか。苦しさや悲しさはどこにいったのか。

そう思うほど彼らの曲がとても良くて、これまで抱えていた黒いもやもやがスーと消えていった。

「この声は信じられる」と思ったのだ。

今回の1件で悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。

こんなに素敵な曲を届けられる、こんなにカッコイイ姿を見せてくれる。

そして何よりも、何度このような事が起こったとしても、パフォーマンスで裏切られない限り、わたしは彼らの姿を見続けるだろうと思ってしまったのである。

 

 

そして証拠のない確信を抱えて約1か月半。

自分の方も良い知らせがいくつかあって、あの頃よりも気持ちに余裕ができた。

私にとって、彼らのコンサートで野外は初めてだった。

しかも初めて入る会場でもあった。

 

「あの件について、なにも言わないでいい」

「泣いてもいいけど、あの件に関して泣かなければいい」

「とにかく、コンサート中はあの件に関して触れないでほしい」

始まる、スタンド席で入場する人を眺めながら、この1か月半考えていたことを思い出していた。

いつも通り、コンサートをしてくれればいいと思っていた。

だからこそ、謝罪されたらどうしようかとおもっていた。

謝罪の言葉なんて聞いたら、担降りとまではいかなくても、それ相応にはなると思っていた。

 

初日は入場に時間がかかり、MCカット、20分押しで始まった。

 

 

1曲目はあの「BLUE」だった。

個人的に今回でなくてもよかったのだが、「1曲目がBLUEのコンサートが見たい」とシングルリリースの時から思っていた。

通常のツアーはコンセプトを固めたものを展開するので、「BLUE」が1曲目に来るとしたら、今回のようなコンサートしかありえないとは考えていた。

そして、360度ステージで、下からせりあがってきて欲しいとも考えていた。

その時はすっかり忘れていたのだが、公演終了後によくよく考えたら、真ん中のステージではなかったものの、メインステージで下からせりあがってきていた。

わたしはよくカンが外れるタイプなので、今回ばかりは苦笑いした。

ああ、いやだけど「運命なんだろうなあ」と思ってしまった。

 

2ヵ月ほど前、あんなことがあったのに、そんなことを微塵も感じさせないパフォーマンスでコンサートは進んでいった。

途中の映像は「いつも通り」の彼らの姿で、「そうそうこれこれ、これが見たかった」と、すっかりいつものようにコンサートを楽しんでいた。

 

メンバーカラーの衣装は意図的に作っていない、4年前から考えていたことがある、という彼の言葉を聴いて、「新しい衣装でとうとうメンバーカラーに合わせた揃いを作ったのか」と予想したけど、全然違かった。

そっちか!と思ったけど、WHITEから追い続けている身としては様々な記憶があふれて堪らなかった。過去の衣装は歌番組などでしか見られないと思っていたから、より嬉しかった。

 

 

 

「きっとBYAKUYAだ」

 

と思ったら違った。

 

「夜よ踊れ」だった。

 

この曲は、あのBLUEの通常盤のカップリング曲であった。リリース直後から話題となり、ファンがコンサートで見たい聴きたい曲の1つになっていたと思う。

なんとなくやるだろうとは思っていたけど、どのタイミングで、どの流れに組み込まれるのかはわからなかった。

まさかのバンドコーナーだった。

でもすぐに納得した。

納得できるだけの音がそこにあった。

 

生バンド、しかも野外という環境は難しいと思う。音が聞こえにくかったり、音がずれる。しかも初日はあまり音響が良くなかった。

 

でも、そんなことを無視できるような、そんなの関係ないパフォーマンスが目の前で繰り広げられていた。2日ともメインステージから遠いところだったので音ずれはしょっちゅう起こっていたけれど、バンドコーナーの時は対して気にならなかった。興奮して忘れてるだけかもしれないけど。

 

ここで証拠のなかった確信が、証拠のあるものになった。

 

これがあればきっと大丈夫。

 

その音は、魂からの声のように聞こえた。

 

 

Burn.という小説に「魂を燃やせよ」というセリフがある。

この小説は彼の書いたものの中で私が一番好きで、そして、このセリフが作中で一番好きだ。

 

コンサートで歌い踊る時、それは魂を燃やしている時だ。

彼らが魂を削って、それを燃料にして、燃やして、それが音に、踊りに乗り移ることで感じることができる。

そして、わたしが「魂を燃やせる」瞬間を得られるのは、彼らの世界にいるときだけかもしれない、と確信をまた得てしまった。

心の底から熱く、理性を超えて、そんな感覚になれるのはここしかないのかもしれないと分かってしまった。

薄々気が付いていたけど、気が付きたくなかった。

他にも好きな人たちはたくさんいるけれど、最終的にはここに戻ってくることが決められているなんて。絶望ともいえる。そんな自分にあきれるし悲しくなる。でもそれはそれで仕方ない。

 

その後、例の件に触れることはなく、コンサートは進んでいく。

15年前の自分へ、というタイトルでメンバーがコメントを述べる映像が流れる。

おそらく一番今回の件が響いたのはここのメンバーのコメントと流れる順番だと思う。

無難な、まあそういうこと言うよな、といったコメントが3人流れた。

最後の一人になった。

 

「拝啓、15年前の僕へ。今、幸せだよ。」

 

さすがに彼の事まで疑うのはやりすぎだと思うからしない。

だが、彼が実際どう思っていようと、ここで、この流れで、最後にこの言葉を言えるのは、上出来な物語だなあと泣いてしまった。

そんな物語に振り回されてもいいかなとおとなしく白旗を挙げたのも事実である。

 

裏側でTシャツに着替えていて、なんかBoxが出てきたときに、「あーこれアニバーサリーBoxだ」と思ってしまった。初日から気が付いてはいたが、話題にしてる人が全然いなかった。でもみんな気が付いたでしょう?きっと。

 

初日は時間的にアンコールはないと思った。2日目も終わってみればアンコールの時間はなかった。

時間があっても、アンコールの声が大きくなっても、なんとなく彼らはもう出てこないんじゃないかと思っていた。むしろそっちの方がかっこいい。

 

コンサートの最後を締めくくる映像のBGMは「生きろ」だった。最後の曲がそれだったからだろうが、とても合っていた。

 

最後に歌詞があやふやになりながらファンが歌ったのも「彼らのファン」らしくて笑ってしまった。

 

 

彼らに出会わなければよかったと思ったこともある。

しかし、これから先なにか決定的に「確信」を失わない限り、きっと彼らに出会えてよかったと言える未来があると思っている。

 

魂を燃やし続けられる限り、彼らと共に歩むことを止めないだろう。

 

 

15周年おめでとう。

やっと言えたわ。

 

*1:ちょうどAKBの総選挙期間だったのはある意味幸運だったと今は思う