I・ZA・NA・I・ZU・KI と Wonder と シリウス
「一年たって、やっとQUARTETTOにより添えた気がする」
I・ZA・NA・I・ZU・KI と Wonder、のこと。
ずーっと、ずーっと。
QUARTETTOのセットリストにおいて、なぜこの部分にI・ZA・NA・I・ZU・KI がくるのか、そこからなんでWonderなのか。それは続くシリウスにも言えて。
きっと「わからない」「もやもやする」って感情と気持ちになっていたのは、「納得する理由が自分で見つけられなかったから」なんだということが、この場所で「三曲がそれぞれ持つ『意味』」に気が付いたらようやくわかりました。
分かった瞬間、きれいに並べたドミノが脳の中を倒れていきましたよ、はい。
非常に綺麗でございます。
簡潔に言えば、「I・ZA・NA・I・ZU・KI には儀礼的要素」が、「Wonderには破壊」が、「シリウスには創造・再生」が秘められているのでしょう。
ところで、これに気が付いたのは、この発想に行きつく直前に「シン・ゴジラ」を見たことが大いに関係しているのであります。
Twitterを主として様々な「シン・ゴジラ」考察・裏話が飛び交っておりましたが、その中に、「ゴジラ」と「神」の存在を指摘する意見が多々ありました。
日本は古来から自然災害が多く、よくその自然の猛威は神の仕業とされてきたようです。私自身あまり知識が無いのと、掘り下げるとまた大変なことになりそうな予想が付くので、このあたりで触れるのはやめますが、お察しの良い方は気が付くでしょう。
そういうことです。
単純ですね。
そしてこの発想に行きつく前にもう一点。
「シン・ゴジラ」を思いだすきっかけになったとも言えることを。
「モードのジャポニズム展」と呼ばれる展覧会が、今から20年ほど前に開催されました。
私はもちろん生まれたてほやほや(もしかしてこの世にいなかったかも)くらいのことでしたので、実物を見てはいないのですが、そこでの衣装展示の方法が、I・ZA・NA・I・ZU・KI での彼らの動きに似ていました。
「モードのジャポニズム展」はタイトルではわからないかもしれませんが、衣服を展示した展覧会でした。
衣服展示を行う際、もちろん服はマネキンに着せるのですが、私が見たその展示の様子をおさめた映像では、白い石を敷き詰めた床とそこにたたずむ衣装をまとったマネキンたちの姿が、どこか神聖(というよりも、気が引き締められるような空間を作り上げている?)な一面をもち、そして「生」が感じられなかったのでした。
白、「生」、神聖、曲調、動き、光、模様。
ああ、これかー、と、すべてがつながった時には軽く絶望してしまいました。
どうしても分かり合えないと思っていたし、もういっそ分かり合いたくないともおもっていた、QUARTETTOに正面衝突してしまったのでした。
気が付くのが遅いよ、ほんとに(苦笑モノですよ)。
そしてなぜ当時にしっくりこなかったのか、の理由は、明確かつ不確定な理由がありまして。
・その当時アンテナがにぶちんだった
・その当時精神がよろしくなかった
・うすうす「NEWS」という存在が「生」の塊であることが無意識のうちにわかっていて、かつ自明の理だと思っていたため、「生」が感じられない、もしくはほかの曲に比べて極端に薄いこの曲に拒否反応があったのかもしれない
一番最後が一番実証が難しい点。ここがクリアできればこの三つでケリが付くけど、どうなるかな。ってもうこれでいいでしょ。
もともと曲自体は特に好きではなかった。
これがわかってから見方が変わって昔よりは好きになったけど。
(あとすっごい他の人はわからなくていい小話、衣装のブラックライト当たると出てくる模様と、きらきらうえつと、NGTの劇場公演の冷蔵庫曲衣装の色味といい雰囲気が似てるなって思ったこと)
そもそもなんでこの三曲に行きついたのかってのは、先日放送された少プレのWonderの加藤さんがさいこ~な動きをしてくれたからであって、あれがなけりゃQUARTETTOのDVDを見返そうと思わなかったし、そもそもこのタイミングだったからいろいろなことを脳内でリンクさせれたのかなあ、と思います。
タイミングとさまざまな見聞は実に大切ですな……と知らされた一件でございました。