オタ卒なるもの

どうも。

 

久々にあげる記事がこういうものになるとは思わなかったです。

 

 

タイトルの通り「オタク卒業」しました。

といってもジャニオタは卒業してません。まだ現役バリバリ(?)だよ。

 

 

 

 

 

女子アイドルの方のオタクを卒業した。

きっとこんなことはもうない(と信じたい)ので文章に残す。

 

物事が始まったその日の朝、起きてTwitterを見たらTLがざわざわしていた。

本人が言ってることが本当なら、とても悲しいことだ。と、かなりショックを受けた。その日は一日中気分が重かった。

でもなかなか公式からのアナウンスは出ない。そうこうしているうちに公演やイベントは開かれる。

静かな公式。対して賑やかなネット。

本人が謝ることになった。

そしてイベントが終わって少しずつメンバーのSNSの更新が始まっていく。

そしてまたその対応でざわざわするネット…

 

被害者加害者、まだ事実関係が分からないこともある。というか全てが分かるとは思えない。

推しメンは黒か白かと言われれば「わからない」。正直これを書いている現時点でどのメンバーにも言えることだと思う。

 

この件が表に出てから、推しメンの顔が見れなくなった。公式に対して信頼がなくなった。そんな所に所属しているだけとはいえ、そんな彼女の姿を見ることが出来なくなった。

とにかく公式にはお金を落としたくないと、さっさとモバイルサイトを解約した。きっとこの状況でモバイルメールがきても、推しメンを好きでいられるかわからなかったから、サイトを解約したその次の日には、メールも解約した。

 

TwitterInstagramのフォローも外した。その時にアイコンを見ても何も思わなかった。

 

中には、「こんな時にこそ推しを信じなければ!」という人もいる。そりゃそうだ、人は色々なのだから、そういう考えの人がいてもおかしくない。そういう人は信じ続けて、支えてあげて欲しい。

 

でもわたしにはそれが出来なかった。したくても、その先にどうしても「公式」「運営」がチラついて、そんなよくわからない所に関わりたくなかった。

「推しメン」に直接お金を落としたかった。

 

 

 

イベントが終わり、メンバーのSNSが更新され始めた。

 

そんな時に、推しメンのモバメの内容とTwitterの呟きを知った。

 

人気メンだからそういう公向けのツイートをするだろうし、モバメの縦読みというそういう手段しか取れないのは理解できた。

でも、そのような行為を取ったことで、わたしの気持ちはどんどん冷めていった。

いつも通りの、ふざけたツイートだったらよかったのかな。

それともこのままなにも言わなければよかったのかな。

きっとどの方法でも、1度冷めたものは温まりにくかっただろうとは思う。

 

そして、この状況を外野として楽しんでしまってる自分に気がついてしまった。

 

最低だよね、つい数日前まで応援していたグループが燃えに燃えまくっている状況を見て「どんどん燃えろ」と思っていたり、どうにでもなってしまえ、解散してもかまわない、と思っているんだ。

 

今回の件で推しメンの所属チームがより苦手になってしまったのもあると思う。

昨年の組閣以降、ようやくチームが2つになり、それぞれの個性が出てきた。

そして見ていくうちに、推しメンのいないチームの方が団結感があって、見てて面白いなあ…と思うようになっていた。

それが今回の件で確定してしまって、もうダメだと思った。

 

 

わたしは1人推しメンや担当がいて、なおかつ箱推し出来ないとそのグループを応援できない傾向がある。

今回その箱推しの部分が崩れて、公式への信頼感がなくなって、そのまま推しメンへの愛がなくなってしまった。

全てが連動していると思う。

 

これまでの推しメンのグッズを整理していて、残したいと思うものがほとんどなかった。それほどまでに愛想が尽きてしまった、いや、好きとか嫌いとかじゃなくて、無関心になった。

今でも好きなメンバーはいるけれど、そこにかつての推しメンが居るかと言うとそうではない。

姿もSNSの文章もなにも感じない。

何も思わなかった。何も考えられなくなった。

 

そして、このまま追い続けてるとアンチになると思った。

アンリーとかの気持ちが少し分かった気もする…。

 

 

今回こうなってしまったということは、今後他の姉妹グループでも、坂道グループでも起こるかもしれないという可能性が少なからずある。そうなると、すぐにまた48グループに関わることはないと思っている。

 

前時代的なことはまだまだフツーにあるんだなと絶望もした。

もうこんなことで傷つきたくはない。

オタクを辞めることは自衛の意味もあるかもしれない。

 

 

ファンを辞めるとか言うと推しメンが悲しむ、という人もいる。けど、悲しんだって人の気持ちを変えるのは大変だし、所詮「趣味」に過ぎない。

趣味で体を壊す前にそこから手を引く選択をしていい。

人は人、自分は自分なのだから、人の決定に首を突っ込まないでほしい。

こうなってしまった以上、いくら言われたとしても、意志を曲げる力がもうない。

 

だから、自ら手を引く。

 

推し始めるのも、辞めるのも、全て自分の手で決着をつける。

 

 

推しメンのあなたへ

終わり方は綺麗じゃなかったけれど、初めての推しメンはあなたで良かったと思っています。

これまで見たことない世界を見せてくれてありがとう。

あなたから学んだことは沢山あります。道は離れますが、それだけは忘れずに過ごそうと思います。

これからも良い人生を歩めるように祈っています。

何があってもへこたれないでください。

 

さよなら。

 

嵐のアルバム2011~2017の話

こんにちは。

 

Twitterでしていた嵐の2011-2017アルバムの話をします。

Twitterの呟きまとめプラスアルファみたいな感じなので、言ってることは大きく変わりません。

 

 

 

では1つずつ解体します。

 

2011年「Beautiful World」

震災後初のアルバム。嵐は幸か不幸か「震災」によって「国民的アイドル」の荷をより背負わされるようになったと考えています。それは5年後の2016年の熊本地震の時にも現れているし、口蹄疫や他の災害時にも応援CMが作られていたりしています。

その最初が明確になるのがこの年。

ワクワク学校も始まりました。

だからこれまでのアルバムよりもテーマが具体的というか、すこし重みのあるテーマだったのかなと思います。個人的には楽曲からあんまり「Beautiful World」感はない気がするんだけど。

でもリード曲の「まだ見ぬ世界へ」はこの立ち位置になってもまだ「その先」を見据えている挑戦を示してるんだなとは思う。でも同じ尖ってる系統の「Remarkable」とはまた違うんだよね。分かれ。

 

 2012年「Popcorn

前年と比べたら急にテーマが抽象的かつ明るくなった。「Beautiful World」といっても、どうしてもツアーのカラーが紺色だったせいで暗い印象があるんですけど、それを忘れたかのようなポップ。「ポップ」から「popcorn」なのか、はたまた逆なのかはニワトリとタマゴ問題ですので知りません。(どっかで言及してるとは思うけど手元に資料がないのでわかりません、あしからず)

 

2013年「LOVE」

個人的に一番納得いかなかったアルバムです。テーマは明確かつ壮大。だけどそれ故に嵐がうまく調理できてない感じがあるし、それをファンは受け止めきれなかったところもあると思う。あと、やりたいこととやらなきゃならないことが噛み合ってなかったのかなとも思う。知ってる嵐ファンで降りていったのは、だいたいこの2013〜14に多くて、「LOVE」は好きじゃないという人が多いです(筆者調べ)。LOVEが好きな人よごめんなさい。あとね、このアルバムあんまり音が良くないと思うんですよ。基本パソコンで取り込んで、音楽プレーヤーに落として聞くんですが、それでも他と比べて音が小さいのと音質がよくないイメージ……。なので個人的に評価が低いアルバムです……。だからこそ、ここを乗り切ったor乗り切れなかったでファンの断絶があったと思う。そういう点では、ポイントの一つだと思ってます。

 

2014年「THE DIGITALIAN

個人的にやっと嵐がエレクトロしたと思った待望のアルバム。蓋開けたら思ったよりエレクトロしてなかったけど。前作に続いてこれも好みが分かれると思う。エレクトロとかデジタル系が好みじゃないと、2年連続でアルバムが微妙という残念なことになるので、そりゃ去って行くファンもいて当然だなと思う。

ただしそういうアルバムを2年続けて出して来たのは強気の姿勢の表れでいいと思うんすよ。結果として。長い目で見るか短い目で見るか……。

 

2015年「Japonism」

テーマは「日本」。あれまた国を背負い始めたな。でも今回はうまーく調理したと思いますよ。そして「日本よいとこ〜」のカバーと、コンサートでの過去のジャニーズが行って来た演出の使用。私がコンサートに入ったのもあり、どうしてもJaponismはコンサートまで含めて考えてしまいますが、ジャニーズの歴史を分かりやすく取り入れたなと思いました。テーマシリーズはここで一区切りを迎えると考えているのですが、その最後にこれを持って来たのは意図的なんじゃないかな……と思いつつ。5年連続でテーマがはっきりしたものをやったからこそ、次で弾けたんじゃなかろうか。

 

2016年「Are You Happy?」

ポップコーン以来4年ぶりの抽象的なテーマ。直訳すると「幸せですか?」高校までの英語しか記憶がないのでこういう訳しかできない。なんか統一感があるようでなかったような、想像する「嵐」を体現したアルバムだったのかなと思います。良くも悪くも力が抜けて、純粋に楽しいというか。

 

2017年「「untitled」」

初めてタイトル見た時、どこまでかっこがつくのか戸惑った記憶がある。前のアルバムで世の中が想像する「嵐」を表現したとするなら、今作は嵐がやりたい・見せたい「嵐」を追及したんじゃないかなあと思います。そういう点でもしかしたらLOVEとかに通ずるところがあるのかもしれない、と勝手に思っている。LOVEもきっとあの頃やりたかったことを前面にしてて、ああなった。でも今回も同じで、やりたかったことを表にした。そしたら前よりもうまくいったのかなって。そのやりたいことと、ファンのみたいものがうまくひとまとまりにできたのが「「untitled」」だと思っています。

 

 

 

以上、私がリアルタイムで追いかけ始めた2011年からのアルバムの話をしました。正確に言えば2009年の夏ごろから追いかけてはいるので、2010年の「僕と見ている風景」もリアルタイムなんですが、今回の話の流れだとまとまりが悪いので外しました。

結果として「国民的アイドル」になったが故の影響がアルバムに良くも悪くも表れていたよって話です。そういう話をしているはずなんですが、そういう話になってなかったらすみません。Twitterのまとめと考えていただければ。想像・妄想と言われればそれまでなので、そういうものだと思ってください。

 

では。

「untitled」が好きな話

どうも。

 

今回は、今年の嵐のアルバムとコンサートが最高な話です。(ネタバレあり)

 

わたしの嵐遍歴は不要かとも思いますが書きたいので書きます。飛ばしていいよ。

2009年 中学二年の春~夏 BelieveのPVを動画サイトで見てかっこよすぎて落ちる

2012年 高校一年の冬 高校入学したら入ると決めていたFCにようやく入会するも、「新規は当たりやすい」というのは都市伝説だったので見事にpopcornになりそこねる*1

2012~2016 ここからずっと当たらない私の名義。息してるのかわからないまま年会費を食い続ける。地方優遇有るのかと期待してた宮城も仕事をしない*2

2013 なぜかワクワク学校を一般電話で取ってしまう(ガラケーのおかげ)

2016 なぜかワクワク学校を抽選であててしまう*3

2017 デジタルチケットになり倍率が(おそらく)以前よりかは落ちるであろうと考え、ここで当たらなかったら10年計画か…*4と頭を抱える。そしたら当たった。この名義、生きてたんだね!!!!!

 

めでたく第一希望で通りました。当選したのは東京でしたが、「さすがに入金後に地方に変わらねえよな……?」と定期的に確認してたのは秘密です。

 

ここ数年、アルバム発売からの当落のため、「アルバム好きなのにコンサートいけない」なんてことが起こってまして。

今回はアルバムの時点で「こりゃコンサート見れなかったら一生の後悔もんじゃな」と思わせてくるブツだったのでたいへん心臓に悪うございました。

万が一外れてたらどうなってたんでしょう。DVD見て嵐担降りてたかもしれない(知らんがな)

 

アルバムですが、流れが気持ちいいんですよね。

曲の並べ方がいい。曲が良い。

そしてソロ曲ではなくユニット曲やったところが良い。

ここに関しては色んな意見見ますけど、正直ソロ曲は人によって好みの当たり外れが毎回大きいので、ユニットにして複数人の意見が混ざったほうが好みやこだわりが分散して、門戸が広くなるのではないかと思っています。実際そうなっていると感じられるし。

 

さてコンサートの話に入ります。

今回のセットリストは以下参照で。

www.livefans.jp

 

開演前、暇すぎて一緒に入った友人に「最初の曲なんだと思う?」って聞きました。友人から「うーん」と明確な回答が来ないまま、わたしが勝手に「ぐりーんらいとがいいなー」といって終わったんですけど、そのまんま一曲目だったのでようやく嵐と和解した!*5この時が来た!俺の時代が!とひとりオイオイしました。一面の緑がきれいでした。あんなにペンライトとレーザーで緑一色の空間は初めてです。

 

そして二曲目。いやシングル様出てくるの早いって!!!でも好きな曲だから許す。いや~ホーンセクションがばりばり最高~。でもあんまり記憶が無いです。

 

三曲目にはちょっとビビりました。この曲が出てくるのが早すぎる。「はやくね?!」って隣の友人に思わず言ったら理解してくれました(おそらく)。でも全体見たらコイツはここなんだなあと思ったので松本さんはすごいと思いました。(小学生の感想)

 

四曲目。これは運悪く踏み抜いたTwitterネタバレに含まれてて曲がセトリに入ってるのは知ってたんですけど、こんなに前半に来るのか!とここまでの曲にすべて共通する感想です。あとここで後ろのほうに来ていた記憶があるんですがどうでしょう。脳の記憶をあんまり信用しないので嘘言ってたらごめんなさいです。ちなみに開演前に友人と「この曲全然聞いてないからあやしいどうしよう」といまさらなことを言っていました。

 

五曲目。この曲10年選手ですよ。息が長いね!!!すご!!!

 

ここからユニット。

トップはにのあいさん。友人が二宮担(にのあい寄り。大宮にも理解がある)なんでここが最高潮かな……とぼーっと見てたら、まさかのペアルック。大ダメージ。

そして歌詞が「ユニットバス」だっていうので、コンサートでようやく歌詞をちゃんと把握したんですがほんとにユニットバスだった。どっちがどっちだ。

そして例の共同作業ダンスなんですが、すぐに「コンテンポラリーダンス」のワードがこんにちわしまして、いかんいかん、またすぐ知ってるものとくっつけてしまった、となりました。一瞬、七色とピンクっぽいのとグレーっぽいのががサッと通り過ぎたけど。あれはどういうジャンルのダンスですか。

隣でキャーキャーしてるのが聞こえてきて楽しかったです。

 

次。櫻井さんと松本さん。最初の感想が「ヒプノシスマイク」。たぶん二人が対決するようにパートが割ってあるせいだよ。まあ演出もそうなってるんですけど。男らしさががんがん出てて好きです。「男くささ」があふれあふれあふれ……*6。これは正面で定点カメラの映像見たいな。

 

大野、二宮、松本の三人組。

ぬるっと演技が始まったので「あ?ミュージカル?」と一瞬油断してしまった。

この三人の組み合わせだと、こちらから見て、二宮センターで左が大野、右が松本の立ち位置が好きだと気が付きました。踊りの癖とか動きと背格好の関係なんだろうな……。この感覚は嵐見てて初めて感じたのでこれから大切にしようと思いました。

 

問題児。「バズりnight」。

曲だけの感想はフォロワーさんに「おそ松さん」と言われ、「そうやな」としか返せなかったんですが、コンサートでどうなるのか……と思ったら、コンサートでも問題児。最初映像から始まるのですが、LINEのトーク風の映像で、三人のオタクが伝説の三人組の現場に行く話をしているんですね。ここで私は「オタク用語が古いwwww」と大量の草を生やしておりました。「ンゴ」じゃねえぞ櫻井。

と思ったらいわゆる「電車男」とかあの頃の「ヲタク」といわれて想像する格好をした三人がひょこひょこ出てくる。その恰好、ちょっと変えたら鉄道オタクや。

そして間奏で繰り広げられるペンライト芸。綺麗に二本持ち。三人も周りのジュニアもそろいもそろってペンライト芸。ここでわたしは「女子アイドル応援してる自分が、そっちで感じた文化が肯定されている……」と変な、感慨深い気持ちになっておりました。おかげでコールバッチリ。まわりみんな「オイ!オイ!オイ!オイ!」ってやってなく悲しかったです。いやでもわからんよね……。

と思ったら最後。伝説の三人が出てきた。笑い死ぬ。アンビリーバボー。

自担のあんな格好もう見れないな。記念になったよ。

 

末っ子さんたちが出てきていったん小休止。そして映像。

 

あれ、大野さん一人で出てきた。

とか言ってたら、大野さんが操り人形になっておるではないか。

もうむり(それしかいえなかった)。

あらら、映像にマスターハンドクレイジーハンドも出てきた。

大乱闘スマッシュブラザーズ……(演出は全然違います)。

ここでゲームしてるわたしがもれなく救われました。

 

そして「つなぐ」。ああ、だから、とも思った。そしてめちゃめちゃカッコイイ衣装。これまでとは違い、この一曲で一気に空気が暗くなったから、そういう曲が続くのかと思いきや。

 

「抱擁」されちったぜ。コンサートで見たときは違和感しかなかったのですが、曲だけ聞いたら納得すんだよねえ。難しいねえ。そして「つなぐ」の軍服風衣装が一曲で退場したのがたいへん残念でありました。

 

 

 

 

 

と書きかけの記事を発見したのでとりあえずこの状態でネットの大海に放っておきます。DVD出る前に完成しなかった……

 

 

*1:この年のコンサートはpopcornですよ奥さん

*2:なんかコンサート直前に来る復活抽選みたいなメールは来たけど望んでるのはそれじゃねえ

*3:ワクワク学校は三年に一回当たるのか?

*4:さすがのソ連も五か年計画だったのに

*5:しばしば演出やセトリで松本さんと意見が合わない

*6:ラストホープ主題歌「Calling」より

「魂を燃やせよ」

2018年8月11日、12日。

曇り空は晴れた。でも、最後の最後は雨が降った。

これまでの事をすべて流すような、そんな雨だった。

 

個人的に重要なタイミングで彼らは何かしらの不安要素を発生させてくる。

4年前は結果良い方に転がったのだけれど、今回はどちらに転がるか全く予想がつかなかった。

自分も思うような結果が出ていなかった時期だったし、なによりも、周年の年になにをしてるんだろうと思う方が先だった。

 

といっても起こってしまったものはどうにもならない。

だから忘れるように、他の応援しているグループに目を向けたし*1、彼らの曲も「まったく」耳にせずに、必死に勉強をしていた。

 

こういう時、アイドルは無力だと思う。

でもそれは「アイドル」という性質上どうしようもないものだとも思う。

受け入れる側が、受け入れられる状況にならなければ、なにも届かないのである。

 

どうなることやらと思った「BLUE」はそのままリリースされた。さすがにこれは延期したくてもできないものだったと思う。音楽番組も、そのまま放送されたものが予想より多くて安心した。

 

事が起こった時から「BLUE」がリリースされるまでの約2週間、彼らの曲を聴くことはなかったと思う。聴いていたとしても、こころここにあらずのような感覚で、耳から耳へ通り抜けていった。

 

「BLUE」を聴いた。

これまでの憂いはなんだったのか。苦しさや悲しさはどこにいったのか。

そう思うほど彼らの曲がとても良くて、これまで抱えていた黒いもやもやがスーと消えていった。

「この声は信じられる」と思ったのだ。

今回の1件で悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。

こんなに素敵な曲を届けられる、こんなにカッコイイ姿を見せてくれる。

そして何よりも、何度このような事が起こったとしても、パフォーマンスで裏切られない限り、わたしは彼らの姿を見続けるだろうと思ってしまったのである。

 

 

そして証拠のない確信を抱えて約1か月半。

自分の方も良い知らせがいくつかあって、あの頃よりも気持ちに余裕ができた。

私にとって、彼らのコンサートで野外は初めてだった。

しかも初めて入る会場でもあった。

 

「あの件について、なにも言わないでいい」

「泣いてもいいけど、あの件に関して泣かなければいい」

「とにかく、コンサート中はあの件に関して触れないでほしい」

始まる、スタンド席で入場する人を眺めながら、この1か月半考えていたことを思い出していた。

いつも通り、コンサートをしてくれればいいと思っていた。

だからこそ、謝罪されたらどうしようかとおもっていた。

謝罪の言葉なんて聞いたら、担降りとまではいかなくても、それ相応にはなると思っていた。

 

初日は入場に時間がかかり、MCカット、20分押しで始まった。

 

 

1曲目はあの「BLUE」だった。

個人的に今回でなくてもよかったのだが、「1曲目がBLUEのコンサートが見たい」とシングルリリースの時から思っていた。

通常のツアーはコンセプトを固めたものを展開するので、「BLUE」が1曲目に来るとしたら、今回のようなコンサートしかありえないとは考えていた。

そして、360度ステージで、下からせりあがってきて欲しいとも考えていた。

その時はすっかり忘れていたのだが、公演終了後によくよく考えたら、真ん中のステージではなかったものの、メインステージで下からせりあがってきていた。

わたしはよくカンが外れるタイプなので、今回ばかりは苦笑いした。

ああ、いやだけど「運命なんだろうなあ」と思ってしまった。

 

2ヵ月ほど前、あんなことがあったのに、そんなことを微塵も感じさせないパフォーマンスでコンサートは進んでいった。

途中の映像は「いつも通り」の彼らの姿で、「そうそうこれこれ、これが見たかった」と、すっかりいつものようにコンサートを楽しんでいた。

 

メンバーカラーの衣装は意図的に作っていない、4年前から考えていたことがある、という彼の言葉を聴いて、「新しい衣装でとうとうメンバーカラーに合わせた揃いを作ったのか」と予想したけど、全然違かった。

そっちか!と思ったけど、WHITEから追い続けている身としては様々な記憶があふれて堪らなかった。過去の衣装は歌番組などでしか見られないと思っていたから、より嬉しかった。

 

 

 

「きっとBYAKUYAだ」

 

と思ったら違った。

 

「夜よ踊れ」だった。

 

この曲は、あのBLUEの通常盤のカップリング曲であった。リリース直後から話題となり、ファンがコンサートで見たい聴きたい曲の1つになっていたと思う。

なんとなくやるだろうとは思っていたけど、どのタイミングで、どの流れに組み込まれるのかはわからなかった。

まさかのバンドコーナーだった。

でもすぐに納得した。

納得できるだけの音がそこにあった。

 

生バンド、しかも野外という環境は難しいと思う。音が聞こえにくかったり、音がずれる。しかも初日はあまり音響が良くなかった。

 

でも、そんなことを無視できるような、そんなの関係ないパフォーマンスが目の前で繰り広げられていた。2日ともメインステージから遠いところだったので音ずれはしょっちゅう起こっていたけれど、バンドコーナーの時は対して気にならなかった。興奮して忘れてるだけかもしれないけど。

 

ここで証拠のなかった確信が、証拠のあるものになった。

 

これがあればきっと大丈夫。

 

その音は、魂からの声のように聞こえた。

 

 

Burn.という小説に「魂を燃やせよ」というセリフがある。

この小説は彼の書いたものの中で私が一番好きで、そして、このセリフが作中で一番好きだ。

 

コンサートで歌い踊る時、それは魂を燃やしている時だ。

彼らが魂を削って、それを燃料にして、燃やして、それが音に、踊りに乗り移ることで感じることができる。

そして、わたしが「魂を燃やせる」瞬間を得られるのは、彼らの世界にいるときだけかもしれない、と確信をまた得てしまった。

心の底から熱く、理性を超えて、そんな感覚になれるのはここしかないのかもしれないと分かってしまった。

薄々気が付いていたけど、気が付きたくなかった。

他にも好きな人たちはたくさんいるけれど、最終的にはここに戻ってくることが決められているなんて。絶望ともいえる。そんな自分にあきれるし悲しくなる。でもそれはそれで仕方ない。

 

その後、例の件に触れることはなく、コンサートは進んでいく。

15年前の自分へ、というタイトルでメンバーがコメントを述べる映像が流れる。

おそらく一番今回の件が響いたのはここのメンバーのコメントと流れる順番だと思う。

無難な、まあそういうこと言うよな、といったコメントが3人流れた。

最後の一人になった。

 

「拝啓、15年前の僕へ。今、幸せだよ。」

 

さすがに彼の事まで疑うのはやりすぎだと思うからしない。

だが、彼が実際どう思っていようと、ここで、この流れで、最後にこの言葉を言えるのは、上出来な物語だなあと泣いてしまった。

そんな物語に振り回されてもいいかなとおとなしく白旗を挙げたのも事実である。

 

裏側でTシャツに着替えていて、なんかBoxが出てきたときに、「あーこれアニバーサリーBoxだ」と思ってしまった。初日から気が付いてはいたが、話題にしてる人が全然いなかった。でもみんな気が付いたでしょう?きっと。

 

初日は時間的にアンコールはないと思った。2日目も終わってみればアンコールの時間はなかった。

時間があっても、アンコールの声が大きくなっても、なんとなく彼らはもう出てこないんじゃないかと思っていた。むしろそっちの方がかっこいい。

 

コンサートの最後を締めくくる映像のBGMは「生きろ」だった。最後の曲がそれだったからだろうが、とても合っていた。

 

最後に歌詞があやふやになりながらファンが歌ったのも「彼らのファン」らしくて笑ってしまった。

 

 

彼らに出会わなければよかったと思ったこともある。

しかし、これから先なにか決定的に「確信」を失わない限り、きっと彼らに出会えてよかったと言える未来があると思っている。

 

魂を燃やし続けられる限り、彼らと共に歩むことを止めないだろう。

 

 

15周年おめでとう。

やっと言えたわ。

 

*1:ちょうどAKBの総選挙期間だったのはある意味幸運だったと今は思う

深夜の思考録①

 

「結局自己肯定感の話か?」

 

自分がくよくよしている時、人の話を聞きつつも、最後はやはり自分が乗り越えなくては根本的な解決にはならない。

 

Twitterを長年にわたり使用しているがゆえに、「考え方の癖」がついてしまっているようだ。

流れてきた呟きのテーマとか内容をもとにそれについて考える、という一連の流れがすっかりできあがっている。

「他人」という存在が無ければスイッチが入らない……というのもおんぶにだっこで嫌だったりするが結局見ている人には見抜かれてしまっているのだ。

そもそもわたしは人間をいくつかに分類した時に「分かりやすい人種」に属していると思っているから仕方が無い事といえばそうである。

難しいとかわからないと思った時は、それは単に使用する「言葉」のせいである。

今回もまたその「おんぶにだっこ」でクヨクヨとしているのだった。

 

 

 

蜜蜂と遠雷』からここまでの繋がり。うーん見えんな。

明らかに深夜テンションで拍車がかかっているようだ。

というこの文章も深夜でなければ書けないのだが。

「夜」という時間帯と少々のうぬぼれ。

 

さて、上記の呟きを単純な図式に直す。

①『蜜蜂と遠雷』を読んで「音楽との向き合い方」について考える

②中学の時の「音楽の向き合い方」は未熟だったと考え、その経験をもとにしていたことを恥ずかしく思う

③「向き合い方」が未熟だったのは基礎的な土台ができていなかったからである、という考えに行きつく

④では基礎的な土台はどうできるのか?それはインプットによる

⑤インプットする=様々な物事を見聞きする、体験・経験すること

 

 

 

さてここからの展開が飛躍しているようでわたしにもわからない。どういうこっちゃ。

言いたいことはわかるけど、つながりがわからないなあ。

 

基礎的な土台があればわかるようになる、わかることでまた救われる、救われるとは「自分を肯定されること」、と続くけど、うむ、ここはまだ改良の余地ありです。

 

結局として「世界から自己肯定される」には「いろんなことを知らなきゃならない」ってことかなあ。一行にまとめるのに字数だけめちゃくちゃ使ってるな。

でも「世界から自己肯定される」感覚は独りよがりなんですよね。おそらく。

最後はひとりで「いいね」ボタンを押さなきゃ生きていけない。

だから他者の「いいね」がいくらあっても足りないし、飢えはしのげない。

「これまで自分が歩いてきたところ」を「世界」に「肯定」される。

この感覚は自分しかわからない。

他人に言われても、自分自身に「これでよかったんだ」という、しっかりとした実感がなければ意味がない。

すべてはそのために。

 

あれ、なんかループしてる感覚が若干あるな。

それは今度までの宿題。

 

他者からの承認がすっと欲しかった私にしてはよくここまで行きつきましたね。

自分で自分をほめます。

 

おわり

 

I・ZA・NA・I・ZU・KI と Wonder と シリウス

 

「一年たって、やっとQUARTETTOにより添えた気がする」

 

I・ZA・NA・I・ZU・KI と Wonder、のこと。

 

ずーっと、ずーっと。

QUARTETTOのセットリストにおいて、なぜこの部分にI・ZA・NA・I・ZU・KI がくるのか、そこからなんでWonderなのか。それは続くシリウスにも言えて。

 

きっと「わからない」「もやもやする」って感情と気持ちになっていたのは、「納得する理由が自分で見つけられなかったから」なんだということが、この場所で「三曲がそれぞれ持つ『意味』」に気が付いたらようやくわかりました。

分かった瞬間、きれいに並べたドミノが脳の中を倒れていきましたよ、はい。

非常に綺麗でございます。

 

簡潔に言えば、「I・ZA・NA・I・ZU・KI には儀礼的要素」が、「Wonderには破壊」が、「シリウスには創造・再生」が秘められているのでしょう。

 

ところで、これに気が付いたのは、この発想に行きつく直前に「シン・ゴジラ」を見たことが大いに関係しているのであります。

 

Twitterを主として様々な「シン・ゴジラ」考察・裏話が飛び交っておりましたが、その中に、「ゴジラ」と「神」の存在を指摘する意見が多々ありました。

 

日本は古来から自然災害が多く、よくその自然の猛威は神の仕業とされてきたようです。私自身あまり知識が無いのと、掘り下げるとまた大変なことになりそうな予想が付くので、このあたりで触れるのはやめますが、お察しの良い方は気が付くでしょう。

 

そういうことです。

 

単純ですね。

 

そしてこの発想に行きつく前にもう一点。

シン・ゴジラ」を思いだすきっかけになったとも言えることを。

 

「モードのジャポニズム展」と呼ばれる展覧会が、今から20年ほど前に開催されました。

私はもちろん生まれたてほやほや(もしかしてこの世にいなかったかも)くらいのことでしたので、実物を見てはいないのですが、そこでの衣装展示の方法が、I・ZA・NA・I・ZU・KI での彼らの動きに似ていました。

 

「モードのジャポニズム展」はタイトルではわからないかもしれませんが、衣服を展示した展覧会でした。

衣服展示を行う際、もちろん服はマネキンに着せるのですが、私が見たその展示の様子をおさめた映像では、白い石を敷き詰めた床とそこにたたずむ衣装をまとったマネキンたちの姿が、どこか神聖(というよりも、気が引き締められるような空間を作り上げている?)な一面をもち、そして「生」が感じられなかったのでした。

 

白、「生」、神聖、曲調、動き、光、模様。

 

ああ、これかー、と、すべてがつながった時には軽く絶望してしまいました。

どうしても分かり合えないと思っていたし、もういっそ分かり合いたくないともおもっていた、QUARTETTOに正面衝突してしまったのでした。

 

気が付くのが遅いよ、ほんとに(苦笑モノですよ)。

 

 

そしてなぜ当時にしっくりこなかったのか、の理由は、明確かつ不確定な理由がありまして。

 

・その当時アンテナがにぶちんだった

・その当時精神がよろしくなかった

・うすうす「NEWS」という存在が「生」の塊であることが無意識のうちにわかっていて、かつ自明の理だと思っていたため、「生」が感じられない、もしくはほかの曲に比べて極端に薄いこの曲に拒否反応があったのかもしれない

 

一番最後が一番実証が難しい点。ここがクリアできればこの三つでケリが付くけど、どうなるかな。ってもうこれでいいでしょ。

 

もともと曲自体は特に好きではなかった。

これがわかってから見方が変わって昔よりは好きになったけど。

 

(あとすっごい他の人はわからなくていい小話、衣装のブラックライト当たると出てくる模様と、きらきらうえつと、NGTの劇場公演の冷蔵庫曲衣装の色味といい雰囲気が似てるなって思ったこと)

 

 

そもそもなんでこの三曲に行きついたのかってのは、先日放送された少プレのWonderの加藤さんがさいこ~な動きをしてくれたからであって、あれがなけりゃQUARTETTOのDVDを見返そうと思わなかったし、そもそもこのタイミングだったからいろいろなことを脳内でリンクさせれたのかなあ、と思います。

タイミングとさまざまな見聞は実に大切ですな……と知らされた一件でございました。